2011年11月
我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照したまう、といえり。『正信偈』
私たちは物事を判断する時に、それが好きか嫌いか、自分にとって必要かそうでないかなど、
2011年9月
煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
よろずのこと、みなもって、
まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておはします。『歎異抄』後序
原発事故の発生以来、時の人となった京大原子炉実験所助教の小出裕章先生。
2011年6月
前に生まれん者は後を導き、
後に生まれん者は前を訪え、
連続無窮にして、
願わくは休止せざらしめんと欲す教行信証
ぼくはじいちゃんから昔の話を聞いたことがあります。じいちゃんのこどものころに戦争がありました。その時、
2011年5月
煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて 常にわが身をてらすなり高僧和讃
こんな体験をしたことがある。名古屋に住んでいる私が、三河の山奥にある親類の家を初めて訪ねた時のこと
2011年4月
人身受け難し 今すでに受く「三帰依文」
私はある人の死に出あって「人は死に向かって生きているだけなのかな?」と思い、しばらく何もかもを虚しく感じ生きている頃がありました
2011年3月
人間が生まれて,何か偉いことをするのではない
念仏とともに、宿業を果たす、というただこれだけのことに、
かたじけないほどの価値がある安田 理深
嘗て、NHKラジオのある番組で、「よぼよぼが とぼとぼと歩く 日暮かな」と云う川柳を聞いたことがある。
2011年2月
人はいつ死ぬと思う? 心臓をピストルで撃ち抜かれた時。違う!
不治の病に冒された時。違う!!
猛毒キノコスープを飲んだ時。違う!!!
・・・人に忘れられた時さ尾田 栄一郎(『ワンピース』〈集英社〉第16巻より)
「人はいつ死ぬと思う?」それは「人に忘れられた時」だと、ここでは強調されています。実体としての死ではなく、忘れられた時がその人の死であると
2011年1月
そもそも毎月両度の寄合(よりあい)の由来は、
なにのためぞというに、さらに他(た)のことにあらず。
自身の往生極楽(ごくらく)の、
信心獲得(ぎゃくとく)のためなるがゆえなり。『御文 第四帖』
「すぐに病院へ来てください!」末期のがんで入院と手術を繰り返す祖母の担当医からの電話だった。




